月別アーカイブ: 2014年7月

アナと雪の女王とルーン文字

アナ雪のDVDがそろそろ発売されるせいか、人気が再燃している気がする。
アナ雪は、何度みても新しい発見があり、気になる部分がどんどん増える。
それだけ作りこみが凝っているのだろう。

今更感があるが、あまり話題にならないところで語ってみようと。
この作品の魅力の一つは、北欧神話やファンタジーの世界が随所に使われていることだ。
このスピリチュアルな魅力が、子供から大人まで楽しめるところだと思います。

冒頭で登場する王と王妃だが、影が薄いように見えて、じつは結構重要人物だ。
王が、ウォルトディズニーそのひとを写したことは既に有名だ。
ウォルトが凍結保存されているという都市伝説と本作のタイトルFrozenが懸っていることもおもしろかろう。
王は、セリフも登場場面もそれほど多くはないが、エルサの魔力の秘密を知る上で重要だ。
アナが間違ってエルサの魔法を受けて直後に、図書館に向かい、解決策を調べる時に、
ルーン文字の文書を難なく読みこなしている。そして、すぐさまトロールの元に向かう行動力は大したものだ。
この王家には北欧神話に通じ古いルーンの魔力や石トロールと会話する力などスピリチュアルな力があること示している。トロールも普段は、岩や石の形をしていて人に姿を見せることはないが、王と知るやすぐに姿を現す。
トロールも一言二言を聞くだけでで全てを理解して対処方法を練るなど、この事に慣れている。おそらくこの王家にはたびたびこのようなことが起きているだろう。
石のトロールは、北欧のストーンサークルやストーンヘンジなどの神聖な場所を示していると思われる。作品では、擬人化されているが、実際は神聖な岩倉の類だと思われるのだ。
つまり、ストーンサークルに行き、石と会話して、魔法を取り去る儀式を行ったわけだ。
王家の図書館にあるルーン文字の書物には、この王家に生まれる子は、時として、オーロラの魔力が落ちてきて氷の魔力が生まれながらにて宿ることが書かれている。
それを操るには真実の愛が必要だとも。
儀式でもトロールが手に持つ本には、ルーン文字が書かれている。
つまり、王とトロールは、ルーン文字や古い言葉により会話ができるのだ。
そしてBlackfells Realmのトロールは、記憶を操る魔法で悪い記録を書き換える。
これは、はるか昔から岩倉や石碑が事象を記録する目的で使われ、引いては、
歴史や記憶を操る道具として機能し、そのような魔力を持つものとされたのだろう。
現代の歴史認識の問題と同じで、メディアにより記録の書き換えは、魔法に等しいのだ。

そして王が水難で無くなり、墓石にはルーン文字で王の名前が刻まれる。
王妃の名前は、エッダに出てくる女神の名前IðunnI 、王の名前は、Agðar高貴なものという意味だそうだ。このような名前ということは、天皇家と同じく、この王家にも北欧神話から連なる由緒ある血統であることだろう。

あと、あまり話題に上らないので不思議なのだが、エルサがアレンデールに冬の呪いをかけたあと、住民が薪の積む向きについて論争する場面がある。
傍からみたら、薪の向きは、皮が上か、皮が下か、どちらでも良い冗談ような気がするが、
これは、北欧の人たちとっては常に論争のタネで、一晩は討論できるようだ。

執筆活動再開

不可能物体に関して蒐集した記事やネタをそろそろまとめたものを残そうと思っている。
先日のNHKスペシャルを見て、同じように間違った説が流布し残されるのを懸念するのである。
「不可能物体の系譜」というタイトルで、随分以前から書きためたものをなんとか残したいのである。ただこれらは、具体的な作成方法を示したものではなく、その由来や歴史からはじまり、とりとめのない散文になるだろう。
この話はその作り方と同じでく永らく封印されてきて、まともに語られることはなかった。

 

ガウスの日記と小保方ノート

天才数学者のガウスが生涯にわたり書き遺した日記というものがある。
日記というか覚書メモみたいなもので、凡人には何が書いてある分からない
落書きのようなもので、ポエムのようなものまである。
断片的な数行のメモがほとんどで、しかしその内容は解るひとにはちゃんと解るようで
やはりガウスにしか書けない内容だそう。
このガウスと小保方氏を比べてはいかんとは思うが、例の実験ノートとやらは、
素人判断でダメ出しをするべきではないと思う。
日本的教育システムでは、ノートを採ること、その詳細さや丁寧さで、勉学に対しての
姿勢を判断する云々の話になりやすい。
ノートというのは勉学でそんなに重要かといえば、必ずしもそうではないかと思うのだ。
実際は、私はそこそこの学歴はあるが、ノートをあまり真面目に書いたことがない。
社会人になっても、ノートやメモをあまりとらない。
その手間があれば、話の内容をその場で記憶し次につなげる努力をしてきたので、
メモ程度は採るが、ノートに綺麗にまとめる必要は社会人に至ってなお、むしろ必要としない。
学生時代から思い起こすが、授業中にノートを念入りに書いている同級生をみて、無駄な労力をしていると常々思った。
はっきりいって出来の悪い生徒ほど、ノートを飾ることに専念していたのでは思う。
だから、小保方ノートの断片をみて、多分ノートを採ることよりも成果を優先した結果だろう。ノートが雑だったり整理されていなくても、研究者としての資質を疑うべきではない。