月別アーカイブ: 2004年9月

興味を引かれる人

不可能物体を事務所に何気に飾ってあるのだが、これに興味を引かれる人とそうでないと人ときっぱりと分かれるようだ。
興味のない人には、あえて説明はしないようにしている。
理系の人間だからといって、かならずしも、この手のものに興味を寄せるものもないらしい。
男、女も全く関係ないことはないが、女だからといって、この手のものに興味をまったく惹かれないというものでもないようだ。
パズル的なものが好きでも、不可能物体の存在意義がまったくわからない人もいるようだ。
私からみれば、これこそ最も知的な遊びではないかと思うのだが、そうでもないらしい。
まず、クイズとかの類には、まったく興味がない。
単純に知識の寄せ集めなので、そこに知性を感じないのだ。
調べれば済むだけだから。
でも、一行知識のようなひねりのある知識は大好きだ。
一般的なパズルは、クイズと違い思考力を問われるが、それは一部の知性だけを使う。たとえば、論理的思考、空間把握、算術、数学、忍耐力、機転、回転の速さなどのね。
また、パズルの中でも、クロスワードやナンバークロスとかいう類もまったく知性を感じない。
大抵のパズルは、ひとつの知識に特化し単純化された現象を解くこと楽しむものだ。
不可能物体は、これらのクイズやパズルと違い、それらの知識やノウハウ、思考力、忍耐をすべて総動員する。必要とする知識の範囲すら明確ではない。
まず、鑑賞する段階から、一般常識を必要とし、ミスディレクションに引っかかるだけの知性を要求される。
まして、既存のものを真似て作ろうとするだけでそうである。
私は、不可能物体を作るにあたり、素材の性質や加工の方法を調べあげ、同様のパズルや手品の現象を調べ、試行錯誤、試作を重ね、精進を行うことでようやく不可能物体の完成形にたどり着くことができた。
新たな不可能勿体を創造しようとするならば労力はたいしたものである。

常識で理解できる範囲を超えた物体が目の前に現れたとき、人の反応は複雑だ。私流に勝手に解釈すると、

(1)ほとんどの人は、全く目に入らないか、無視するだろう。
パズル的なものに全く興味がないか、注意力が足りないのだろう。
(2)説明しても、なぜ不可能なのかを理解できないだろう。
知的レベルが足りないのではと思う。
(3)不可能であると解っても、その作り方を想像しようとしない。
知的レベルは高いのだろう。この手のものを考え出すと眠れなくなるのがわかっているので、避けているのだ。
パズル的なものに興味を持っていても、パズルとしての理解を示さないこともあるだろう。現象として単純化されていないと知性の遊びとして理解きないのだ。
(4)しつこく作り方を聞くだろう。(ソルバー初級)
作り方が気になってしょうがないのだろう。
また、自分なりに作り方を調べるだろう。
(5)自分も真似して作ろうとする。(ソルバー上級)
作り方がなんとなく解っても、納得できずに作ってたくなるだろう。
(6)新しいものを作ろうとする。(クリエータ)
既存の不可能物体では、飽きてしまって更なるサプライズを提供したくなるだろう。
かつて私は、(3)、(4)の中間だった。そして(6)にまでなってしまったのである。

Flinkカードに関する考察

Flinkカードに関する考察をまとめておこう。
Flinkカードは、トポロジー的には、2つ穴のトーラスになる。その穴のひとつに別のリングを通すのは、トポロジー的に不可能である。つまり、FLINKカードは、その位相空間になんらかの変更を加える必要があるということだ。
しかし、これだけ単純な形だと手を加えるといってもそう簡単にはいかない。
複雑なデザインであれば、巧妙にその跡を隠すこともできようが、単純なデザインであるが故に加工は困難を極める。さながら、傷ついた美術品を修復するかのような手練が必要になる。


さてデザインをよく観察すると、唯一このような加工が可能と思われる特異点が4箇所あることに気がつく。それ以外の場所は、加工の跡をきれいに抹消するのを許されない場所である。
その4箇所のうち2箇所を出口と入り口にするのだ。そう考えると、なぜ、FLINKカードがこの形状なのかの説明がつく。リングを通すだけなら、他の形でも良いのだ。この形に行き着くには、この特異点の必要性をうまくカモフラージュする必要があったのだ。
なぜこのような工夫をするかといえば、単純に切って、貼っただけでは、人の目にはすぐに解ってしまうからだ。だから輪の内部へ通じる出口と入り口をわける必要がある。入り口だけなら、それは表面についたかすかな傷か皺にしか見えないだろう。だから入り口と出口は別々にするのだ。
しかし、そうすると、入り口から出口までの距離はかなり長くなる。
この長さを目立たないように加工するには、やはりかなりの試行錯誤と修練が必要だ。
逆のこの一見無駄と思えるような長さの経路を思いつくのは、まさか馬鹿なと思うだろう。であるからして、この長さは充分ミスディレクションになりうる。
そして、その経路は、おそらく3階層にわかれるだろう。このうち第2階層と第3階層の間のギャップは、かなりのものになるので、それを段階的に埋めなければならない。
そうしないと、ギャップの跡が見えてしまうのだ。また、1層目のギャップを大きくすると、仕上がりが美しくない。この部分は今後の課題だ。

そして、入り口と出口をどうやってきれいにふさぐかということも問題となる。
これもまだ完全ではない。
解りにくくすることはできるか、特異点の部分の強度に不安がある。
見るだけなら解らないが、実際に触るられるとやはり解ってしまう。
これも今後の課題だ。

本物のFLINKカードは、もの好きが虫眼鏡でみてもわからないらしいので、そこまで技術を高めるのはまだまだかかりそうである。

不可能の境目

可能か不可能かの境目はなんであろうか。
多くの不可能物体は、基本になる素材の性質を逆手にとったものが多い。
硬いものであれば硬いイメージを利用したデザインにする。
ガラス、木、金属製品(スプーン、ナイフなど)などは
硬いので簡単に加工は不可能だという前提である。
紙であれば、切れ貼りすれば跡が残るという前提である。
しかし、これらは、どれも常識的な判断であり、実際にはからずしもその通りではない。
ただ、これらの性質を計算にいれても、不可能なデザインはありうる。そこが面白い。
ガラスが曲がるといっても、加工にはちょっとした工房がいるし、木が狂うといっても当然限界がある。
金属には、焼きなましという方法があるが、元通りに硬くすることは困難を極める。
ある不可能な状態から可能な状態に移行して、さらに不可能なものは存在しうるのである。
さて、可能か不可能の境目は、人間が決めた壁である。
たとえば、究極の不可能問題、不老不死は可能であろうか?
生命の根源をその人格に求めるなら可能である。
「歌舞伎座の怪人」という演目を見たのだが、そこでは、歌舞伎座の奈落にする怪人が襲名により不老不死を得て、世代を超えて芸を披露するという話が出てくる。
伝統芸能の役者は、その芸を受け継ぎ、襲名することでその人格は不老不死となる。
同一人物が肉体だけ老いてもそこに大して意味はないのだから本当の不老不死はその役者の本質たる芸を伝えることだ。つまり、見方を変えれば、いくらでも不可能は可能になるということだ。
また、人間には不思議なものを認めようという心理的な配慮が働くことが考えられる。UFOや心霊写真を信じるように、心のどこかで疑っているのだが、超自然な出来事を常識を否定してまでも認識しようとするのだ。
神や奇跡を信じる宗教的な行為も同様だろう。
そういう意味では、不可能物体も一種の宗教のようなもので多少の疑わしさがあっても、それを無視して信じてくれるのである。夢やロマンを追う人は、そういった疑問をもつこと自体を嫌うのである。
アニメやSFを物理的に解析して楽しむ本が一時期はやったが、何が楽しいのか?むしろそのような行為を楽しむ人間の知性を疑ってしまう。
このように不可能物体には、夢やロマンが必要であり、かつ、見る人はその夢やロマンを十分に堪能するように鑑賞するべきである。
とはいっても、あまりに出来のわるい不可能物体では、興醒めになるだろう。
だから、私が提案するところの不可能係数をできるだけ上げ、その品質を高める努力を行わないといけない。
実際、ある場所で古銭に矢を通したものを売っているものを見たが正直見るに耐えなかった。
私の判断では、あまりに粗悪であり、商品価値はないといっても良い。矢がぼろぼろで仕上げがなっていないのだ。それでも、矢の秘密が知りたい人は買うが良い。
また、ネットで検索すると矢の秘密を公開している人がいるが、ただちに止めるべきである。
人々の夢を壊して楽しむはいかがなものか。
サンタクロースの正体を子供に得意になって解説するひとがいるだろうか?
しかも、それらのサイトに公開されている内容がひどい。実際の工程の半分も説明していない。
中途半端な説明では、レベルの低い不可能物体しかできず、それを見て作った物体を見たら興醒めになるだけである。
必要なノウハウは、簡単には語りつくせないくらいある。

ミスディレクション
すべての物事は、物理的な存在やその在り方以前に、人によりどのように認知されるかでその性格付けがなされる。不可能物体もまた然り。
不可能かどうかは、物理的な条件で決定されているのではなく、人による認知により不可能であるといえる。
身近にあるごくあたり前の物体でも、うまくミスディレクションが働けば、それは不可能物体と認知されうる。
であるから、不可能物体に重要なのは、ミスディレクションである。
このため、不可能物体には、必ずコメントがつく。
それは、素材に関する説明であったり、デザイン、作成条件だったりする。
それは、物体の解説であると同時に重要なミスディレクションである。
不可能物体は、マジックのネタとは違うのだから、解説に絶対嘘はいけないが、夢やロマンを醸し出すために背景やストーリ、エピソードを添えることは必要だろう。
なぜ、夢やロマンがミスディレクションになるかというと、先に書いたとおり、人は、そういったものを心の底で望んでいるので、それを掻き立てることは、疑惑の目を曇らす方向に働くのだ。
不思議なものを純粋に不思議なままで鑑賞したいと願うからこそ不可能物体は存在しうるのだから、その手助けをする必要がある。
不可能物体には、心理的側面が必要なので、そこに添付する文章の重みに気づくべきである。
もちろん、不可能物体そのもののデザインに、ミスディレクションが必要なのは言うまでもない。

夢を与えること

私、かねてから夢を人々に与えるような仕事をしたいと願ってきた。
不幸にも少なくとも今の仕事は人々に夢を与えるものではない。社会の基礎を作る大事な仕事ではあるが、実用性だけの夢のない仕事だ。
不可能物体を作ることは、大いに人々に夢を与えることができると思う。
今思えば、最初にコーラビンと矢を見たのはいつのことであろうか。学生時代にOMNIかクオークかどっちかだと思うが、ひどく衝撃を受けた。
その思いがずっと心に残り、いつか同じような物体を作り、また、新しい不可能物体をつくって、人々を妄想の世界へ誘いたいと思うようになった。
たった、数ヶ月前だがふとしたことから矢の通し方をひらめいた。
実際に試みを繰り返すことで、かなり品質の高い不可能
物体を作ることができるようになった。
つまり、不思議な矢が私を貫き、スタンド能力が身についたのだ。
それは、物体を自由に小さくしたり、壊れたものを復元したりできるものではないが、いろいろな物事に対して
好奇心を増大させ、注意深く観察し、不可能と可能の境目を見極める目を覚まさせた。
矢を通すことができると、他の不可能物体が可能物体に
みえてきたのだ。
つまり、いくつかの段階を経て、不可能の本質とは何かを悟ることができた。
不可能物体は、物質的な存在ではなく、心理的な存在であるということだ。
ほとんどの場合、不可能であると決め付けるのは人的要因であって、物体のそのものの在り方ではない。
さて、最初に5円玉に矢を通した段階から、コーラビンやTool and Nail,Ball in Cage,Bolt in Pegなどに至るまで大して時間は掛からなかった。
最初に何もできなかった状態をレベル0とするならば、この段階では私のスタンド能力は、レベル1になった。
レベル1では、加工の自由度が少ないため、デザインにはかなり限りがある。その意味でもコーラビンは大変巧妙なデザインであることがわかる。
いまだに、矢の不可能物体しか作れない人がいるのはこの為だ。他の優秀なデザインが浮かばないのだ。
そして、スタンド能力がレベル2になり新たな転機が訪れた。新しい能力を身に付けた私は、レベル1ではできないものを作り始めた。
この能力は、まだ発動したばかりで、まだ完璧ではない。
しかし、レベル1しか習得していないものには、これらの物体は、まさしく不可能物体に見えるだろう。
もちろん、レベル0の人にも十分不思議にみえるだろう。
レベル2の能力は、まだ未完成で、歩留まりが悪く、すこし見かけが悪いものしかできない。デザインの自由度もまだまだ低い。しかし、矢以外のものを作れるようになったのは大きな進歩である。
そして、レベル2の能力が向上するにつれて、新たな変化が訪れた。現在、レベル3へと能力が向上しようとしている。
レベル3のスタンド能力では、自由度はさらに増し、3つ穴の板に木片を埋め込むことができた。この能力が完璧になれば、かなり自由なデザインの不可能物体を作れることになるだろう。
近いうちに、レベル3の能力で作った物体をもっとお見せできると思う。
さて、新しい能力と書いたが、これらの能力はすべて、わが国の伝統的な技法をその発想の原点にもっている。
日本は、木の国であり、数千年にわたり木と向かいあってきた。その伝統の下で多くの技巧や技術が積み重ねられてきた。私の身に付けた能力というのは、実はそれらの焼き直しにすぎない。ただし、伝統的には普通やらないことを敢えてやることで得た能力なのだ。
実は不可能と思えるものは、伝統的、常識的な発想の中だけで考えているから不可能なのであって、常識外のことをほんのすこし考えるだけで、新しい不可能物体は生まれ出る。不可能と可能の境目は、すごく薄いのだ。
不可能物体を作りつづけることで、全ての常識は、常識ではないことが実証できるだろう。

夢のあるとはどうゆうことか
夢を与えることができる不可能物体とはなにか?
不可能物体もパズルのひとつであるが、パズルにしても、不可能物体にしてもただ難しくて面白くければ良いというものではない。
それだけならば、パズル愛好家の興味を引くだけである。
私は、夢があることが一番重要だと考える。
良いパズルには、皆それぞれその背景や物語、ロマンがある。
だから、デザインにも一工夫したいし、不可能物体にちなんだストーリをおまけにつけたい。
意味の無いデザインには、あまり興味を感じないのだ。
フォシェがなぜコーラビンを選んだのか?
コーラの看板に矢のモチーフがあったからだ。
フォシェがなぜコーラビンに矢を突き刺したのか想像するだけだが、その必然性は、おそらくこの看板だ。
Cola Arrowというその看板は、当時きっといたる所で見かけられたに違いない。
ハリーエンの作ったビン詰め作品には、ストーリがあるものある。
ビンに詰められた物体が意味ありげに語りかける。
その後の不可能物体には、フォシェに習い、矢のモチーフを使うものが多い。
それらに本来のコーラの看板の意味は、既に無い。ただ、フォシェに対する敬意だけである。
このように、作品が見る人に語りかける何かが必要だ。
それこそが不思議の原点であり、不可能物体が持つ魅力を倍増するするものだと思う。

Door

最近毎日The Doorというカードを作っている。
形状からして、多分こうしか有り得ないだろうという方法で作っているのだが、なかなか思うような完成度のものができない。
しかし、完成度がだんだん上がってきているので、
そのうち公開できるかも。
こんなものでは、とても人に見せられない。
もしかしたら、作り方が間違っているのかも
しれないと不安になるが、今のところ自分の
感を信じている。