カテゴリー別アーカイブ: 戯言

かきつばたとコスプレ

先日、杜若(かきつばた)という能を観た。
大して予備知識がなく観たものだから、その内容にちょっとショックをうけた。
簡単にあらすじを述べると、旅の僧侶がとある場所を訪れると、そこは、
業平が有名な杜若の句を詠んだ場所であるという女性が現れる。
それは何のことかと問うた僧侶に、女性は、その由来を聞かせ、衣裳を変えて踊り始める。女性は自分のことを杜若の精であると明かして、昇天する。

これは現代風に読み直せば、これは現代のコスプレ女性とやっていることは同じではあるまいか。
在原業平といえば、ご存じ伊勢物語の主人公であり、源氏物語に匹敵する恋愛小説のプレイボーイである。この能の演じられ時期には、すでに古典恋愛小説としては、完熟しきった人気作であったろう。
この女性は、日ごろからこんなものばかり読みふけり、ちょっとイカレテ自分のことを「杜若の精」だと妄想していたのかもしれない。いわゆる二次創作である。
そこに、真面目でインテリではあるが、ちょっと世俗に疎い僧侶がやってきて、杜若の件を知らないという。それは、もう認めたくないし、許せないのであって、得と僧侶に説教を始める。
あろうことか、お気に入りの杜若のコスプレ衣裳を身につけ、自分は「杜若の精よ」とばかりに舞いを踊り始める。
あげく、舞いの随所では、水面に映った自らの姿にうっとりする。
最後には、満足したのか昇天して消えていなくなる。
残された僧侶は、それをみて唖然とする。

この能が、なんらかの実話を題材としたなら、今も昔も人のやることに大して変わりはない。1000年前にも今と同じ感性で同じようなことを行っている。
それをみる周りの反応も同じなのである。

アナと雪の女王とルーン文字

アナ雪のDVDがそろそろ発売されるせいか、人気が再燃している気がする。
アナ雪は、何度みても新しい発見があり、気になる部分がどんどん増える。
それだけ作りこみが凝っているのだろう。

今更感があるが、あまり話題にならないところで語ってみようと。
この作品の魅力の一つは、北欧神話やファンタジーの世界が随所に使われていることだ。
このスピリチュアルな魅力が、子供から大人まで楽しめるところだと思います。

冒頭で登場する王と王妃だが、影が薄いように見えて、じつは結構重要人物だ。
王が、ウォルトディズニーそのひとを写したことは既に有名だ。
ウォルトが凍結保存されているという都市伝説と本作のタイトルFrozenが懸っていることもおもしろかろう。
王は、セリフも登場場面もそれほど多くはないが、エルサの魔力の秘密を知る上で重要だ。
アナが間違ってエルサの魔法を受けて直後に、図書館に向かい、解決策を調べる時に、
ルーン文字の文書を難なく読みこなしている。そして、すぐさまトロールの元に向かう行動力は大したものだ。
この王家には北欧神話に通じ古いルーンの魔力や石トロールと会話する力などスピリチュアルな力があること示している。トロールも普段は、岩や石の形をしていて人に姿を見せることはないが、王と知るやすぐに姿を現す。
トロールも一言二言を聞くだけでで全てを理解して対処方法を練るなど、この事に慣れている。おそらくこの王家にはたびたびこのようなことが起きているだろう。
石のトロールは、北欧のストーンサークルやストーンヘンジなどの神聖な場所を示していると思われる。作品では、擬人化されているが、実際は神聖な岩倉の類だと思われるのだ。
つまり、ストーンサークルに行き、石と会話して、魔法を取り去る儀式を行ったわけだ。
王家の図書館にあるルーン文字の書物には、この王家に生まれる子は、時として、オーロラの魔力が落ちてきて氷の魔力が生まれながらにて宿ることが書かれている。
それを操るには真実の愛が必要だとも。
儀式でもトロールが手に持つ本には、ルーン文字が書かれている。
つまり、王とトロールは、ルーン文字や古い言葉により会話ができるのだ。
そしてBlackfells Realmのトロールは、記憶を操る魔法で悪い記録を書き換える。
これは、はるか昔から岩倉や石碑が事象を記録する目的で使われ、引いては、
歴史や記憶を操る道具として機能し、そのような魔力を持つものとされたのだろう。
現代の歴史認識の問題と同じで、メディアにより記録の書き換えは、魔法に等しいのだ。

そして王が水難で無くなり、墓石にはルーン文字で王の名前が刻まれる。
王妃の名前は、エッダに出てくる女神の名前IðunnI 、王の名前は、Agðar高貴なものという意味だそうだ。このような名前ということは、天皇家と同じく、この王家にも北欧神話から連なる由緒ある血統であることだろう。

あと、あまり話題に上らないので不思議なのだが、エルサがアレンデールに冬の呪いをかけたあと、住民が薪の積む向きについて論争する場面がある。
傍からみたら、薪の向きは、皮が上か、皮が下か、どちらでも良い冗談ような気がするが、
これは、北欧の人たちとっては常に論争のタネで、一晩は討論できるようだ。

ガウスの日記と小保方ノート

天才数学者のガウスが生涯にわたり書き遺した日記というものがある。
日記というか覚書メモみたいなもので、凡人には何が書いてある分からない
落書きのようなもので、ポエムのようなものまである。
断片的な数行のメモがほとんどで、しかしその内容は解るひとにはちゃんと解るようで
やはりガウスにしか書けない内容だそう。
このガウスと小保方氏を比べてはいかんとは思うが、例の実験ノートとやらは、
素人判断でダメ出しをするべきではないと思う。
日本的教育システムでは、ノートを採ること、その詳細さや丁寧さで、勉学に対しての
姿勢を判断する云々の話になりやすい。
ノートというのは勉学でそんなに重要かといえば、必ずしもそうではないかと思うのだ。
実際は、私はそこそこの学歴はあるが、ノートをあまり真面目に書いたことがない。
社会人になっても、ノートやメモをあまりとらない。
その手間があれば、話の内容をその場で記憶し次につなげる努力をしてきたので、
メモ程度は採るが、ノートに綺麗にまとめる必要は社会人に至ってなお、むしろ必要としない。
学生時代から思い起こすが、授業中にノートを念入りに書いている同級生をみて、無駄な労力をしていると常々思った。
はっきりいって出来の悪い生徒ほど、ノートを飾ることに専念していたのでは思う。
だから、小保方ノートの断片をみて、多分ノートを採ることよりも成果を優先した結果だろう。ノートが雑だったり整理されていなくても、研究者としての資質を疑うべきではない。

 

今さらながら、アナ雪にハマってしまっている件。

一応、こっちにも投稿しておくか。

アナ雪トリビアによると、最後のスケートの場面は、原作に由来する。
原作では、雪の女王は、カイに氷のパズルを与え、それが解けたら、
体を自由にしてスケート靴をプレゼントすると約束し、旅立つ。
アナ雪では、魔法を御する方法を得たエルサはアナにスケート靴をプレゼントする。また、執事とメイドの名は、カイとゲルダだと後から知った。
何気ないシーンだが意味深だなー。
これは、原作の後日談として書かれたのか、それともパラレルなのか。
後日談とするなら、カイやゲルダは、原作よりかなり年老いた姿だ。
また、原作に登場する王子や王妃は、のちのアレンデール王なのだろうか。アナ雪では、カイやゲルダは、王の死に立会い幕を下ろす。
もっとも身近な召使いで、すべての秘密を知っていただろう。
原作では、雪の女王はカイとの約束を果たさずに旅立ち帰ってこない。
その生まれ変わりが本作のエルサということになる。
アナ雪を、あまりにも原作とストーリーが異なるのでそれを批判する人もいる。しかし、これまでのディズニーもののように、童話を劣化したコピーで作り上げるのではなく、全く別物としてストーリーを起こした点を誉めるべきだと思う。原作をリスペクトして、完全に再構成し、後日談ともパラレルとも取れる話に仕上げている。
また、このアナ雪は、ディズニー映画のパロディにもなっていて、白馬の王子様のキスでは、決して終わらないように茶化している。
ディズニーらしくないディズニー映画だ。

さて、アナ雪に登場するアレンデール国王は、ウォルトディズニーの若かりし頃の写しだそうだ。
ウォルトには、都市伝説があり、その遺体は、凍結保存されているといわれている。そして、この映画の題名は、「Frozen」である。
これは、単なる一致ではないだろう。このおとぎの国の国王は、Fronzenされているのを暗に示している。
実際には、ウォルトは、ディズニーの本拠地であるグレンデールに埋葬されているそうだ。このグレンデールという互換が、アレンデールに似ているのは偶然だろうか。もしかして、アナグラムになっていなか調べてみたが、そうではないようようだ。
どちらにしても、この作品が、ウォルトディズニーに捧げられた作品でもあるということは、間違いないようだ。

Do the magic

アナ雪の出来が大変素晴らしくて、何度も何度も見てもゾクゾクするなんだが、いったいなぜこんなにゾクゾクするのか分からない。
ディズニー映画にこれほど入れ込むことはそう滅多にないことだが、
これはホントに別格によく出来ていると思う。
人によって、感じ方がもちろん違うだろうが、自分なりに感じたことを書き下さないと気が納まらない。

既に語りつくされているだろうが、まず映像が恐ろしく美しい。
雪や氷の描写はそれだけで充分に美しいのだが、それを生かすための構図やコマ割りや構造物もとても細かくて、何度見ても新しい発見があり、またそれらがエルサの感情を表現するための一部となっている。
エルサは、物語の中で2体の雪だるまを創造する。
オラフとスノーモンスターだが、これらは、どちらもエルサの深層意識を表現している。オラフは、夏にあこがれ、暖かいハグを愛する雪だるまだが、エルサには決して許されない幼少の頃からの願望を表している。
また、オラフは身を滅ぼしてもアナを救おうとする。これもエルサの願望だ。スノーモンスターは、自身の魔力への恐怖が作り出した化け物で、アイスパレスの門番をしているが、逆にアナを遠ざけ、閉じこもろうという願望の表れだ。それぞれが、エルサの願望を表現して葛藤して存在している。
この物語は、おおざっぱにいえば、壮大な兄弟(姉妹)喧嘩の話だ。
兄弟姉妹がいる人なら、エルサとアナの性格は、兄弟姉妹の典型的な性格だ。
内向的でしっかりもので芯のある姉と、自由奔放で楽観的な妹が、喧嘩して仲直りする話でもある。
兄弟姉妹であれば、時に氷の矢を放つようにお互いを傷つけたことが一度や二度はあるだろう。これが人類普遍の兄弟姉妹の感覚で、共感を覚えないはずはない。姉であれば、生まれついての位や力を得てることが多く、常に良い子として育つが、他の兄弟は愛情に飢えてそれを欲し、自由奔放に育つ。
だが、この物語を一部の人は、百合として理解しているようだ。そのように見れば、ダブルヒロインのストーリーで、ディズニーとしてはかなり変わり種だ。脇役のクリストフとスヴェンも、擬人化したゲイとしてみることもできる。単純なラブストーリーではなく、多様化した愛情表現を取り入れた野心作とみることができる。

表題のDo the magicは、幼少のアナがエルザに雪だるまを作る魔法をおねだりする時のセリフだ。全ては、この件から話が始まる。
生まれつき尋常ではない魔力を持って生まれたエルサに、その魔法をおねだりしてから、話がこじれて魔法に対する恐怖心がトラウマとなってしまう。
人と違う魔法の力を持ってしまうと、自身が欲しなくてもそれを求められ、時にはそれをモンスターのように恐れられしまい、目立たないようにしないと生きてゆけない。
これは非常に共感するところだ。

分からないのは、なぜこのような魔力が生まれつき身に付いたのかということだ。作中ではなんの説明もなく、「呪い」か「生まれつき」かトロールに聞かれて、生まれつきだと答えている。もし、呪いであれば、最後には魔力をコントロールできなくなり、本当にモンスターになって終わるバッドエンディングになるのだろう。生まれながらの能力だから、成長によりコントロールできるようになり、ディズニーお約束のハッピーエンディングで終わることができると。

この作品をミュージカルとしてみると、やはり随所に見るべきポイントがある。冒頭のアイスマンのシーンは、レミゼラブルの冒頭の囚人の歌でを意識するし、シャンデリアは、やはり落とさなければ納得できない。
エルサがモンスターとして追われて、北の山でアイスパレスを作り上げるのもオペラ座を意識せずにはいられない。歌もシーンもすべてが計算しつくされているように感じる。
最大の見せ場のエルサがアイスパレスを作るシーンは、特に見ごたえがある。日本語訳の歌詞では分かりにくいが、エルサはモンスターとして追われて、導かれるように北の山に辿りつく。そこでは、エルサの魔力が地の利を得て、最大に発揮されること発見する。
「すこしも寒くないわ」の歌詞でThe Coldというのは、エルサ自身の魔法の力を指している。だから、寒くないと歌っているのではない。
地の利を得て、魔力を隠す必要もなく、その限界を試してみたくなる場面の歌だ。そこで、魔力を徐々に解放していくのだ。
手の平で小さな雪を作ることから始まり、風を呼んだり止めたり、嵐を呼び、雪だるまを作り命を吹き込み、雪を氷に変えて、天に伸びる階段を創造する。そして、最も地脈が良い場所を探して、氷の宮殿を作り上げる。この瞬間、エルサは人が変わり儀式のように歌い舞踊りみるみる宮殿を湧き上げる。最後に、氷のドレスを身にまとい、雪の女王になる。
この時の歌詞は、それまでの心情的な歌詞とは異なり、鼓舞するような文言になっている。歌詞の一部にフラクタルという言葉が出てくるのが印象的で、本作のCGの美しさも賛美していると取れる。
エルサは、戴冠式により女王となった日に、奇しくも雪の女王としても目覚めてしまう。
映像は美しさだけでなく、質感が細部まで再現されていてそれも見入ってしまう。雪や氷はもちろんのこと、着ているものの衣擦れや揺れ方でそれが、シルクなのか毛糸なのかベルベットなのかもわかる。髪の毛や顔の表情やそばかすはもちろん、口パクは、セリフと見事に同期しており、唇のゆがみ方や口の中の歯や舌が動きで、せりふ回しや感情をも表現している。
なにより好きなのは、エルサが頻繁に見せる困った眉毛だ。
嬉しくも悲しいような複雑な感情の困った場面で、眉毛で完璧な演技をしている。眼は、瞳孔が開いて、アップになるとつい眼の演技に目を奪われてしまう。
アイスパレスに苦労して辿りついたアナが、ドアをノックする場面では、眼にうっすらを涙を浮かべているのがわかる。
最後にアナを救うのは、真実の愛のキスではなく、エルサが流した一筋の涙だ。王道である王子様のキスではないところが、ディズニーらしくない点でもある。
顔だけでなく、手や体全体での演技も細やかなものだ。こういったものが当たり前のように表現されて、感情移入できるというものだ。

さて、ハンス王子はこの機に乗じてアレンデールを乗っ取ろうと図るのだが、このハンスが単に悪者というわけではないだろう。ハンスは、12人兄弟の中で育ったわけで、政略結婚などをあたりまえの正義として実行するように育てられたはずだ。貴族社会では自由恋愛での結婚などは認めらないだろうから、彼かしたらアナの方が恋愛感情として間違っている。
南の島の国に送り返されて、どうなるかだろうかと終わる落ちなのだがが、笑い話くらいで済むのだろう。貴族社会としてなら、エンディングとしてアナに相応しいのは、クリストフではなくハンス王子だ。
これがオペラ座の怪人なら、最後は貴族と結ばれて決して幸福ではない結婚生活を送ることになる。後日談を考えるなら、アナとクリストフは決して結ばれることはないだろう。