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大阪城の謎の継手の謎 Puzzle Joint at Osaka Castle

大阪に出張の折に以前より取材対象にしていた、大阪城の謎の継手を見てきました。

場所は、大阪城の追手門(大手門)の控えの門の左側にあります。
追手門は、重要文化財の不可能物体ということになります。
 しかし、だれも気にも留めずに通り過ぎて行きます。
大阪城は結構広いので、この門を見るためだけなら、
地下鉄谷町線谷町四丁目で降りるのが一番近くて便利です。

Ootemon at  Osaka Castle


これが、有名な大阪城の謎の継ぎ手です。
俗に独鈷組とか婆娑羅継ぎとか呼ばれていますが、どうゆう呼び名が正式なのかよくわかりません。
なんとなく大工さんは、婆娑羅と呼び、指物家は、独鈷と呼ぶのしょうか。
Puzzle Joint at Ootemon,Osaka Casle

ことの顛末はこんな具合だ。
昭和54年(1979) 6/5の毎日新聞に社会面の七段抜きのトップ記事として、
「大阪城の謎の柱/どうやって継いだの」が大阪城の謎の継手として紹介された。

地上1メートルのところで、南北を蟻継ぎ、東西を殺ぎ継ぎで根継ぎされているという。
当然、大工や建築関係者らに話題となり、翌日の毎日新聞では、
「江戸の匠に続々挑戦者/こうすりゃ継げる」として、全国から寄せられた解答例を紹介している。
実際には、大阪市教育委員会により昭和41年6月から翌42年に行われた大手門の解体修理の際に、根継の
合端面から次のような墨書きが見つかっていた。
「大正拾弐年六月二十四日、控え柱根本改修工事、部員陸軍主計正(しゅけいのかみ)少田豊、
設計者陸軍技手(ぎて)和田熊吉、請負人石浜組、施工者藤井仁平、大工本間藤五郎、手伝安井重吉
・・・」
おそらくは、設計者の和田熊吉もしくは、大工の本間藤五郎がこの継手を採用したのだろう。
この時にこの継手が考案されたもののかはこれだけだと判らない。
これ以前に存在した可能性も多いに有りうる考えます。

朝日新聞1982年12月12(夕刊、大阪版)でも紹介されている。

1983年12月にX線による解析により、その構造が解明されている。
今となっては、謎ではなく定番の解答が用意されているが、私は、全くの別解を少なくとも他に二つ持っている。
ぜひ、考え直してみて欲しい。
他に、四方蟻には、高橋氏によれば5通りの別解があるとのことだから、よく知られた解答だけを絶対鵜呑みにしないことだ。 その後は、ちょくちょく大工さんや建築関係者のエッセイ集などの登場するし、
まれにTVなども紹介されることがあります。

昭和41年には解体修理され構造も記録されてたはずのものを、なぜ、昭和54年になって
毎日新聞が蒸し返して記事にしたのだろう。
もともと、この継手は、新聞沙汰になる以前より話題にはなっていたようだ。
ジェーン台風が関西を襲った際にも、この追手門の継手だけは修復ができず諦めたそうだ。

さて、昔のこの継手の写真などをみると、継手の境目に正方形の木口が見えるのですが、
今回見てみると、ぽっかり穴が開いており、中にボルトが埋め込んであるのがわかります。
経年の変化で、正方形の蓋が剥がれ落ちてしまったのでしょうか。



この継ぎ手は、よく紹介されているものを読むと、昔の大工の知恵の結晶で、強度を保ちつつ
パズル的な遊びを実現した巧妙なものであると解説されています。
実際には、斜めに差し込む為に、木に負担が掛かり、縦割れが生じています。
その縦割れを抑え込むために、このボルトが挿入されているものと思われます。
さらに、このボルトの為に負荷がボルト周辺にかかり、余計な割れを生じているようにも思えます。
おそらくは、もともとはこのボルトは存在せず、昭和の解体修理の際に補強されたのでしょう。
無粋な改修でかえって悪化させてしまい、文化財が傷ついてしまっています。
しかし、ここの埋め木は、どこに行ってしまったのでしょうか。残念です。

この継手を観察していたら、ちょうど、現地のガイドの方が通りかかり、失礼して横から説明を聞いて
いました。
実物模型を取りだして解説していたので、その模型も見せてもらいました。


おまけに、その場でペーパークラフトをいただきましたので、
帰ってからさっそく作ってみました。よくできてます。
ちょっとしたパズルの用で一方向からしか組み上げることができません。



「KEK工作センター」と書かれていますが、正確な発行元はわかりません。
この発行元をご存じの方は教えてください。
自分でも作ってみたい人は、こちらをどうぞ。



ちなみに、同じく青谷門にも、金輪継ぎで根継ぎが行われおります。こちらは、昭和45年と比較的新しいもの。 凝ってはいるが、それほど珍しいものではない。

この謎の継手は、新聞などで評判になったのち、各地でその複製が実際に使われるようになりました。
中には文化財などの修復時にも用いられています。
模型などではなく、実際に使われている例として、 1989年に行われた石清水八幡にある正法寺 本堂の門柱の根継にはこの継手が使われました。

近年行われた狛江の雲松山泉龍寺の門柱の継手にも、同様の継手が使われました。

山陰地方の老舗旅館岩井屋 (岩井温泉)の湯船の柱の根継にも同様の継手が使われています。

古民家再生などでもこの継ぎ手が使われることがあります。

国際教養大学の学生会館には、日本の大工技術を学生さん達に紹介する意味で変わった
継手、仕口にて構成しています。その中に、この継ぎ手が紹介されています。

また、インテリアデザインの横山稔は木造建築継手をアート化した作品づくりに取組んでおり、 この大阪城の継手もモチーフとしてよく登場する。
ほかにも、まだまだ使われているかもしれない。もし、見かけたら報告してほしい。
非常にアクセスや問い合わせが多いので、参考資料を記しておきます。

■参考資料

昭和54年 6/5 毎日新聞 「どうやって継いだの 大阪城に?の柱 まるでチエの輪 専門家も『常識外だ』」 )
昭和54年 6/6 毎日新聞 「江戸の匠に続々挑戦者/こうすりゃ継げる」
昭和58年 12/12 朝日新聞 夕刊 「柱の”パズル”60年ぶり正解」 )
昭和58年 12/22 朝日新聞 夕刊 「設計者はアイデア大工さん」 )
重要文化財大阪城工事報告書「 重要文化財大阪城大手門・同南方塀・同北方塀・多聞櫓北方塀・多聞櫓・金明水井戸屋形・桜門・同左右塀工事報告書 」
1969 大阪市
建築ニュース688号


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